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伝統の津軽塗
津軽塗の始まりは、江戸時代元禄年間、信政公の時代と言われていす。四代藩主信政公は、藩の産業や、文化を活性化するために、諸国から指導者や技術者、200名を招き、召し抱えました。その中に、塗師池田源兵衛の名が見られます。池田源兵衛は江戸の青海太郎左衛門に師事し、いろいろな技法を学びましたが、志半ばにして亡くなり、その子源太郎が遺志を継いで修行した後、父の名源兵衛を継ぎました。津軽藩の御国日記の正徳6年に、霜降塗、虫喰い塗、貫入塗等と共に唐塗の名が見られ、この頃すでに名称
が付けられていたものと、思われます。武士の刀の鞘や、煙草盆等の調度品が、津軽塗の出発です。
明治から昭和初期にかけて、弘前には第八師団司令部が置かれました。軍都として弘前市の経済は活況をおびて来ました。軍人の移動にともない、記念品や土産物の需要が増えて来ました。戦争により、一時途絶えますが、第2次世界大戦後、社会の安定とともに津軽塗は復興します。産業として大きくなったのは、昭和40年代で高度経済成長にともない、庶民も豊かになり、これまで貴重品として手に入らなかった津軽塗が大衆化され、庶民にも手に入れられるようになりました。昭和50年には国の伝統的工芸品産業に唐塗、ななこ塗、錦塗、紋紗塗の4技法が指定されました。昭和50年、10件の工場が集まって、団地化がなされ、弘前市の地場産業として大きく飛躍いたしました。
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